キロ4分をつなぐ走
サブスリーを目指す初回の練習はインターバル走。
キロ4分で1Km走って、次の1Kmはジョグというのを繰り返して10Km走ろうと最初は考えていた。だが只今、梅雨真っ盛り。早朝でも既に蒸し蒸しな暑さで、なかなか厳しいコンディションだった。2セット、4Km分まではこなしたが、次のターンは1Kmもキロ4分を維持できる気がしなかったので、500mきざみに変更した。もしこれでも持たないならもっと短くしようと思っていたが、なんとか10Kmは乗り切った。
途中足裏の張りを感じたが、いろいろと試行錯誤して、違和感ぐらいのままフィニッシュできた。その場でマッサージしたら張りが無くなったので、早めの対処が良いのかもしれない。
当面の目標は1Kmの5セットを達成すること。その後は1.2Km,1.5Km...とじわじわ増やしていって、最終的に10Kmをキロ4分で走りたい。10Kmを40分で走れるとサブスリーできるとか言われてるので、それを目標にしたい。
サブスリー戦略
サブスリーを実現するにあたって戦略を練ってみた。
基本は週に2回のポイント練習としたい。ちまたのサブスリー本ではその他の日はつなぎのジョグで距離を稼ぐとか書かれているが、距離は追わず、スピード重視。たまに進捗確認の意味で距離走をはさむ。とは言ってもジョグを全くしないわけではなく、回復走の意味合いで、気が向いた時にやる。
ポイント練習の内容は、平日は近くの標高400mくらいの山をトレランで心肺と足腰を鍛えたい。山を走るのは楽しいので苦にならない。
休日はインターバル走で速く走る技術を磨いて楽に走れるようにしたい。技術向上が主目的で、心肺機能の強化はついでなので、インターバルの間隔を短くするとかキツいことはしない。十分に回復してから次のインターバルに行く。そういう意味ではレペティションと言うのかもしれないが、レペティションほどの速さは求めない。キロ4分を当面の基準としたい。このペースが保てなくなれば終了である。無理はしない。
スタミナ系はランではなく自転車でたまにロングライドして鍛えることにする。
あまり走り過ぎるとすぐに故障してしまうので、クロストレーニングは必須である。
とにかく故障せずに週2のポイント練習がこなせればうまく行くんじゃないかと今のところは考えている。うまくいかなければ修正するまでだ。柔軟に対応したい。
現時点でのスペックは、ベストタイムが2年前の3時間11分、直近の記録が3時間21分である。これがどこまで伸びるか。楽しみだ。
サブスリーを目指そうと思う
マラソンの用語にサブスリーというのがある。この意味は42.195Kmのフルマラソンを3時間切って走ること。達成できるのは全ランナーの3%程度と言われている。
今まで、ちょっとだけ気になったことはあったのだが、本格的に目指そうという気は起きなかった。だってキツそうだから。
だが、50才を前にして、そろそろチャレンジしとかないと年齢的に一生無理だろうなというのと、工夫してトレーニングすればそんなにキツくないのじゃないかという気づきあり、目指してみることにした。そのきっかけになったのが、愛読しているこのブログ
この中で書かれてた次の一文にビビっときたのだ。
「レース中に苦しい場面が訪れたときにどのように対応するか」ではなく、「レース中に苦しい場面が訪れないようにする」
これだと思った。
目標は最小限の労力で楽しくサブスリー達成。
苦しんで、もがいて、最後の力を絞り切ってのサブスリーではなく、マイペースを刻んでいくと結果的にサブスリーだったという状態が理想だ。そういうスタイルにダンディズムを感じる。
というわけでサブスリーまでの記録を残すため用のブログを新設しようと思ったのだが、はてな無料版の個数制限にひっかかってしまったので、本ブログで記録していこうと思う。
ソフトウェアエンジニアはマジでサポート業務を体験すべき
個人で公開しているアプリのユーザが数がいい感じで伸びてきている。
が、良いことばかりではない。というか実際、かなり辛い。
どういう事かというと、自分のアプリが検索の上位(1番か2番目くらい)にくると、今までと違ったユーザ層にリーチするようになる。そのユーザ層の違いに悩まされているのです。
検索の下位にあるアプリをわざわざ、ダウンロードするユーザさんは、言ってみれば。かなり「デキル」ユーザさん。少なくとも自分の理想のアプリ像が頭の中にあり、アプリの説明を読んで自分に合うと思ってダウンロードするか、自分に合ったアプリを見つけるまで試行錯誤を続けていることが想像できる。
対して検索の最初に出てきたアプリをダウンロードするユーザさんは、そういった事をせずに、最初に出たからといった理由で選んでいる可能性が高い気がする。
そう、この説明を「読む」ことや「試行錯誤」することは、当たり前なようで、実は当たり前では無いことを、自らサポート業務をする中で思い知らされた。
例えば、ヘルプの1ページの中でAという機能とBという機能を解説していたとする。
すると結構な数のユーザさんがAという機能を使おうとして、AからBまで操作してしまうのです。
ちなみにAとBは全く正反対の機能で、日本語が正しく読めていれば、Bは操作しないはずだけど、そうはならない様だ。あげくの果てには星2個の評価とともに不具合としてレビューを書き込まれる事になる。
これは誰が悪いかというとユーザさんでは全く無く。AとBを1ページにまとめてしまった自分が悪い。情報を詰め込みすぎた自分が悪い。
AとBは誤解の無いようにページを分けるべきだなのだ。これはアプリのUIにも同じ事が言える。
このような事はアプリの開発だけしていると気づけない。自らサポート業務をする事で身に沁みて理解できる。
ソフトの開発してる人間って実は世間的にはスーパーマンだと思うんですよ。周りにそんな人ばかりだったら、世間一般の読解力のレベルとかは絶対に想像できない。
なので、ソフトウェアエンジニアはマジでサポート業務を体験すべきだと思います。
あと、タイムリーにこんな記事を読みました。
もう、全面的に同意ですね。世の中は広いです。いろんな人たちで溢れています。
自分の周りで見えてるものだけが「世界」だと思ってたらダメだなと反省しました。
そう言えば前にも同じような記事を書いてたな。
この時より、さらにひどくなってる気はするが、、、
オープンソース活動==就職活動?
日々、オープンソースには本当にお世話になっている。
で、たまに思うことがある。この世知辛い世の中で、なんでこんなにボランティア精神に溢れる人が多いんだろう?
そこそこの時間は使うだろうに、何をモチベーションにしているのか。
以前は、純粋に自分が欲しいものを作って、それをオープンソースしていい感じに広げたいって動機がメインなのかと素朴に思っていたが、最近ではオープンソース活動が実は就職活動の一環になってるんじゃないかという気がしてきていた。
そんな中、さきほど目にしたブログがこちら。
この記事を書いてる方はベルリングでスタートアップを立ち上げてる日本人だが、英語圏への転職で書類選考に通る確率を上げるには、Githubでのオープンソース活動が良いと書いておられる。
なるほど、いくらでも「盛り」ようがあって検証が難しい業務履歴書よりは、オープンで目に見える実績が役に立つということか。たしかに有名どころのオープンソースに貢献できていたらオっとなるかも。
そういえば全くの偶然なのだが、ちょっと前に初めてgithubにオープンソースをあげてた。それがこちら。
今は組み込み関係のお仕事をしているのだが、シェルの無いリアルタイムOSなので、デバッグ用にシェル的なものが欲しいと思って作ったもの。
C言語で実装されたシンプルなシェルプログラム、名づけてnano-shell。
機能もシンプルで、プロンプトを出す、入力されたコマンドをパースしてargc,argv[]スタイルの引数で登録されたコールバックを呼び出すだけのもの。
githubにも自作シェル的なものは多くあるのだけど、かなりの大作だったり、依存関係が多かったりと、ざっくり見て気軽に使えそうなものが無かったので作ってみた。
別に海外就職の野望とかがあるわけじゃないのだが、自分が仕事で使える汎用的なものを上げとくと便利そう思ったのが動機。
行過ぎた自動化の先にあるのものは?
最近、やたら増えた気がするものがある。
自動清算機だ。
ちょっと前はスーパーの片隅に1台あるくらいだったのが、だんだんとその勢力を増している。よく行くレンタルDVD屋はフル自動清算になった。ユニクロはまだだが、近くのGUは基本、自動清算のセルフレジになってしまった。そういえばガソリンスタンドは、もはやセルフじゃないとこを探すほうが難しい。
それで気になったことがある。
低価格が生命線な業界については今後もこの流れは加速していきそうだが、そうなると世の中から「簡単なお仕事」ってのが、相当減ってしまうのではないだろうか?
すこし前に読んだ「AI vs 教科書が読めない子供たち」によると、中高生の3割が基本的な読解力も身についてないらしい。この子達は将来どんな仕事につくのだろう?
失業? 先進国では日本の若者の失業率は低いほうみたいだけど、今後さらに自動化が進んだらどうなるんだろう。
失業率の悪化と犯罪率の増加は相関があるらしいが、自動化によって直接的なコストは下げられても、失業保険やら犯罪対策やらで社会的なコストは増加しちゃんじゃなかろうか。
AIブームでさらなる合理化が進んでしまいそうな世の中だが、ほどほどにしといたほうが社会全体としては合理的なんじゃないかと感じる今日この頃なのです。